私は過去2回「うつ病」を経験をしています。
前回は、はじめてうつ病になった体験談をお伝えさせていただきました。

今回は2度目、つまり「うつ病」が再発した体験談を書いていきます。前回の記事と話しがつながっているので、一度目を通していただけたら幸いです。
私を支えてくれた彼女との日々
うつ病が再発したときは、最初のように「本当に死のう・・・」といった自殺企図をもつようなことにはなりませんでした。
しかし失ったものが多きすぎる悲しみから、身も心も引き裂かれるような、あまりにもつらいうつ病体験でした。
その失ったものとは、『妻と離婚』と『事業の失敗』。はじめてうつ病に侵されていたとき、私を救ってくれたのは妻(そのときは彼女)だったのです。
私がうつ病を克服し、就職活動をして仕事に復帰した場所は、付き合っていた彼女と同じ職場でした。
彼女は介護士として老人介護施設であるデイサービスで勤務し、私は彼女の紹介で「リハビリ職」として勤務することになったのです。
その職場で勤務するようになってからも私は他県まで勉強会に参加し、「うつ病」や「自律神経失調症」についての知識を深めていました。そして上級カリキュラムを受講し、より専門的な知識や治療技術を取得することができたのです。
その間、私と彼女は籍を入れ結婚。「このまま時がすぎればいいな・・」と心からから思っていました。
結婚から2年ほどたったころ、当時住んでいたアパートが老朽化してきたので取り壊す、と大家さんに言われ強制立ち退きになることに。このことがきっかけで、私は以前から考えていた「独立開業」を決心しました。
そう、今まで勉強会で学んだ知識と技術を活かして『うつ病・自律神経失調症専門の治療院』を開業したのです。
「自分もうつ病になった経験がある。少しでも自分と同じ立場になった人たちの助けになるために頑張ろう!」
と本気で考えていました。
でも、現実はそう簡単にいきませんでいた・・・。
重くのしかかる経費や予想以上に患者さんが来院されない。来院されても、なかなか継続して顧客になっていただけなかったので経営が厳しくなっていったのです。
次第に、不安とプレッシャーが心をむしばんでいきました・・・。
心の状態も不安定になってきて妻との喧嘩も多くなりました。ときには物を投げつけたり、罵声をあびせたりして本当にひどいことをしてしまったのです。
このときは自分が自分でなくなり、おかしくなってしまったんですね・・。
いま考えると、ひどいことをしてしまったな・・・と、反省もしてしていますが後悔のほうがその何十倍も大きかった・・。
そして、ついに運命の日がきたのです・・・。
離婚という結末
そう、忘れもしないあの日の夜・・・。仕事が終わる時間に突然妻が治療院に姿をあらわし、私にこう言いました。
「ごめんね・・・」
私は一瞬何のことか理解できませんでしたが、次の言葉は・・。
「私の荷物は全部運んだから・・」
本当に何のことか理解できなかったのです。しかし、次の瞬間「離婚届」を出されて理解しました。
「ああ、そうなのか・・・」
ようやく理解することができたのです。でも、なぜかそのとき私は笑っていました。
いや、笑うしかなかった・・・。
多分、状況がのみこめていなかった、というか認めたくなかったのでしょう。
自分だけのことだと思いますが、私は昔から状況がのみこめないときは顔が笑ってしまうみたいです。
過去にも同じような状況になったときに、顔が笑っていた記憶があります。この時は、心の芯から現実を理解したくなかったのかもしれません。
そして、その日の夜は一緒に食事をして別れたのでした。当然ですが、家に帰ってみても妻の荷物はない・・・。
「本当に離婚したんだな・・」と実感がわいてきたのは数週間後。そして治療院がつぶれるのではないかという不安と恐怖感、離婚という多大な喪失感がジワリジワリと私の体に襲いかかってきたのです。
それは、まるで体と心にみえない重りがのしかかってくるよう感覚でした。
しだいに仕事をすることが苦痛になり、ついに「うつ病」が再発してしまったのです・・。
・何をしていても苦しい!
・眠れない!
眠ったと思っても、過去の思いでと1人でいる不安と恐怖感におそわれてずっと布団のなかでうめいていました。
「このままでは、何をしても絶対にうまくいかない・・」
「苦しい!外に出ることさえつらくてできない・・・」
そこで、私は決断しました。治療院をやめようと・・・。
就職活をするも・・
治療院を廃業するからには、就職活動をして次の働き場所を探さなくてはいけません。私は国家資格を持っていたので、それほど働き口には困らないだろうと甘くみていました。
ところが・・。
ダメなときは、何をやってもうまくいかないものですよね・・・。
うつ病状態である私の顔や雰囲気にでてしまうのでしょうか?面接を何回しても不採用の連絡ばかりだったのです。
“人生の窮地”とはこのことだ!
と実感しながらも、生活をしていくためにはなんとしてでも働き場所を見つけなくていけないので必死に探しまわりました。
その後いくつかの面接を行い、やっとの思いで1つの職場から採用の連絡がきたのです。その職場は病院でも接骨院といった治療院でもない、「デイサービス」という老人介護施設でした。
そう、またデイサービスの「リハビリ職」として仕事をすることになったのです。
治療院は廃業。次の職場への出勤までには1ヶ月半ほどの時間がありました。
いま自分ができることは、とにかく“休む”ということ。少しでも心身の状態を回復させなくてはいけない状態だったのです。
少しでも心と体の回復させようと、ずっと布団で寝ていました。でもダメなんでんですね・・・。過去の思いでや出来事が脳裏に焼きつき、そのことでうなされ続ける毎日・・・。
本当に生き地獄の毎日でした・・。
寝ていても、悪夢をみているようで胸が“ギュッ”と締め付けらるように苦しい!!というより、もう本当の痛みです。
食欲もなくなり、体重も7㎏も減って顔がゲッソリしてしまいました。そして悲しみの後にきた感情は、“怒り”でした。
私はうつ病についての勉強をしてきたので、人間の感情の変化が「悲しみ ⇒ 怒り」に変化していくのは知識として知っていました。
でも、自分で身をもって体験することで、
「ああ・・、悲しみの後に怒りがわいてくるってほんとうなんだな・・・。」
と、皮肉にも身をもって理解することができたのです。
その後1ヶ月半という時間で、できるだけ心身が回復できるようにつとめました。しかし、状態はよくならず新たな職場での生活が始まったのです。
「このまま仕事に復帰して大丈夫だろうか?うつ病は悪化しないだろうか?」
不安と恐怖、まだ残る喪失感に私はずっと侵しつづけられていたのです。
業務内容と私のプライド
満身創痍のまま、新しい職場での生活がスタートしました。ところが、就職先の施設はリハビリという業務内容がまだ機能していなかったのです。
リハビリをするために必要な資格をもっている私が勤めることによって、はじめてリハビリという業務と取り入れる予定だということを知らされました。
つまり、「施設の利用者様にリハビリを提供する」という体制が整っていないので、すこしづつ体制を整えていくという状況でした。
こんな状況だから私がこの職場でできることは、ご高齢の利用者様をお世話する介護業務だったのです。利用様が入浴するときに衣服を脱いだり着せたりすることをお手伝いしたり、食器を洗ったりテーブルをふいたり・・・。
「なんで、自分がこんなことをしなければならないのか!!」
本当に、くだらないプライドだけが邪魔をする日々。すぐに辞めようと思い、裏で密かに就職活動をしたりしたのですが、やはり採用されることはありませんでした・・。
うまくいかないときは、本当に何もやってもうまくいかない!!これほど痛く実感したことはありません。
そんなことがありつつも、この職場で数ヶ月がたち仕事も少しづつ慣れていったのですが・・。
突然、「入浴の仕事をしてくれないか?」と言われたのです。
私は、一瞬「えっ!?」と心のなかで疑いました。
だってリハビリをするためにこの職場にきたのに、なんでご高齢の方の体を洗う手伝いをする介護の仕事をしなければならないのでしょうか?
“俺はリハビリをするためにこの職場にきたのであって、介護をするためにきたのではない!”と思うのが当然ですよね?
でも、リハビリの業務体制が整っていない状態でそれしか仕事がないなら、言われたことをやるしかないと思ったので了承したのでした。
それでも、やっぱりプライドが邪魔をするのです。“なんで俺が・・・”と。
転機がきた!
こんな人生のどん底にあった私にも転機が訪れてくれたのです。
実は離婚後、苦しくてつらい状態のとき相談にのってくれた方がいました。
その方は女性で同業のお仕事をされています。そのときに「いつでも遊びにきて」という声をかけてくださりました。
このときの私の精神状態は、外に出たり電車に乗ることすら怖い状態。でも私はその言葉を思い出し、なんとか新幹線に乗ってその先生のもとへ足を運びました。
そして、体の状態を診ていただき、たくさんのお話や相談をできる限りしてきました。
そして、多くの大切なことを教わったのです。
人としての心構え。生き方。考え方・・。
感謝しても感謝しきれないくらい教わりました!!
実はこの先生も過去に重病におかされて生死の境をさまよった経験があり、それ以来、生き方を変えたというお話を聞きました。
そんな先生のところには、余命が残り少ない方も相談にくるそうです。
私は先生と話しているうちに、
「人生の師」を見つけた!と確信したのです。
その後、「竹島」という場所に連れていっていただきました。
竹島には龍神伝説があります。この場所は、先生にとっても一番のパワースポットでした。
この場所にきてから私は何となく心が落ち着き、心地よい気分になれたのです。
こんな気持ちのいい感覚って、いったい何ヶ月ぶりだろう・・?
心の邪気がスーッと抜けていくような感覚。
例えるならば、“母親に抱かれるような安心感とあたたかさ”。忘れていた感情がよみがえってきたのです。
おかげ様で、この数日間で見違えるように気持ちが変わることができました!!
「とにかく自分でいまできることをやろう!」と思い始め、ある自己啓発の音声セミナーCDを購入しました。このCDを何回も何回も繰り返して聞き、自分がいまやるべき「指針」と「気づき」を得ることができたのです。
この日から、
● ご高齢のご利用者様っていったいどんことを考えているのかな?
● 相手の立場になって考えてみよう!
● 人は十人十色。自分の思い込みで話すのではなく、否定しないで話を聞いてありのままを受け入れてみよう。
● 体が思うように動かせない方もいるけど、私は体に関する専門家なので自分ならでは視点でご利用者様の体をみてあげよう!
といった、前向きな考えが出てきたのです。
不思議なもので、気持ちが変われば私自身やまわりの状況もすこしづつ変わってきました。
次第にご利用者との会話のなかで“優しさ”や“笑い”、ときには“厳しさ”などの忘れかけていた感情が湧いてきたのです。
それだけではありません!
介護スタッフとご利用者様が会話をしているときの『笑顔』や『笑い声』が、私のすさんで疲れきっていた“心と体の癒し”となり、これまでずっと感じてきた「なんで自分がこんなことをしなきゃいけないんだ!!」という感情がなくなってきたのです!
まさに、毎日が感謝の日々になっていったのです。
現在の私。そして未来を見すえて・・
本当に、気持ちが変わることで状況は少しづつ変わっていきました。
いや、まわりが変わったのではありません。自分の物の見方が変わったのではないでしょうか?
体制が整っていなかったリハビリ業務も現在ではしっかりと体制が整い、ご利用者様にも喜ばれいます (*^^*)
プライベートでは富士山の登山に挑戦して、初登頂にみごと成功!!
「なんで富士山に登ったの?」とよく聞かれますが、きっかけなんてあって無いようなものです。
ただ、いまの自分を変えたかっただけなんですから。
とにかく何でもできることはやってみよう!やってみれば何か“発見”があるかもしれない!
ただ、それだけなんです。
この頃になると、1人で外出もできるようになりました。
怖くない!普通のことが普通にできてうれしい!心が完全に回復したのを実感しました。
何かを変えるためには、何かをしなくてはいけない。じっとしていたら状況は何も変わりません(もちろん静養する時間は大切です)。
過去より未来をみながら、すこしづつ先に進もうと決心しました。
これより数年たった現在、様々な場所に足を運び、たくさんの人たちと話す機会を増やして自分の考えのキャパシティ(能力)も広げてきました。
人によって価値観や考え方は様々です。自分のキャパシティを広げることでいろんな発見があり、いままで狭い世界で生きてきたんだなと実感しました。
そして、なにより幸せなことは私のことを理解してくれた女性と出会い、再婚したことです。
出会えたことに感謝!そして幸せな日々に感謝しています。
さらに、やってみたいこと挑戦してみたいこともたくさん出てきました。
登山・写真・趣味だったアウトドア・・。自然という環境に身をおくこと、さまざまな人の立場になって考えることで、
● どうして自分はいままでダメだったのか?
● 自分に足りないものは何なのか?
ということが少しづつでも理解できるようになってきたと思います。
新たな目標に向かって決意!
最後に、私はまた自分の治療院を開きたいと考えています。
今度は自分自身のためだけでなく、“同じような境遇で苦しんでいたり悩んでいる人たちの助けになりなりたい!!”という気持ちでいっぱいです。
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